一宮市・妙興寺(仏殿) 妙興寺創建以前の仏像
種別 | Sculptures |
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詳細
一宮市大和町にある臨済宗妙心寺派の寺院、妙興寺は、貞和4年(1348)に滅宗宗興が亡き両親の恩に報いるために建てた寺だが、滅宗宗興による妙興寺の創建以前、この場所には古代寺院が存在したとされ、境内から出土した奈良時代の瓦や「せん仏」の断片から、8世紀にはこの場所に寺院が建っていたことがわかっている。その寺院は衰退して廃寺となり、時を経て滅宗により新たな寺が建てられた。滅宗による妙興寺創建以前の仏像が現在も妙興寺には伝えられている。仏殿に安置される二体の武装天部立像は、平安時代に制作された作品で一宮市指定文化財である。仏殿後方の西脇壇に安置される天部立像は、高さ121.3㎝。寺伝では四天王のうちの持国天とされている。東脇壇に安置されるもう一体の天部立像は、高さ115.0㎝。寺伝では四天王のうちの多聞天(たもんてん)とされている。東脇壇の天部像は、体の部分は平安時代に作られたものですが、玉眼が施される頭部は後補とされている。どちらの像も彩色が剥落し、手先なども失われている。