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兵庫県・市川町 笠形寺の平安木彫仏

日本語
指定 市川町指定文化財
種別 彫刻
員数 3躯
大きさ 142㎝(不動明王坐像)
素材 針葉樹材(ヒノキか)、一木造
時代 平安時代
所在場所 兵庫県神崎郡市川町 笠形寺
english
種別 Sculptures

詳細

笠形寺は兵庫県市川町上牛尾にある天台宗の寺院である。この寺は法道仙人を開基とし、慈覚大師円仁(794-864)によって中興されたという伝承を持つ。標高939メートルの笠形山は、播磨富士とも呼ばれ、この山全体が修験道の聖地でもあり、笠形寺はこの笠形山の山岳信仰を背景にもつ寺院と言える。"笠形"という山の名称は、京の愛宕山からこの山の形が笠の形に見えることが背景とも伝えられている。もとの笠形寺本堂は、神仏分離を経て、現在は笠形神社の拝殿となっており、標高約360メートルの山麓に建てられた蔵王堂が笠形寺の現本堂である。笠形寺に関する古記録類は全く残されておらず、寺史の詳細は不明であるが、蔵王堂内には平安時代の作品として木造聖観音菩薩立像、木造兜跋毘沙門天立像、木造不動明王坐像がケースに収められる形で安置されており、これら3体は昭和46年に市川町指定文化財に指定されている。聖観音菩薩立像とされる菩薩形の尊像は、頭体幹部(髻部〜太腿あたりまで)のみを残す状態で伝わり、朽損部や欠失部位が多いものの、面貌や耳の形、三道相、条帛、裙、腰布の着衣の造形を確認することができる。兜跋毘沙門天立像は、両肩以下を失うものの、宝冠から足下の地天女まで形が残り、忿怒相をあらわす面相部や鬢髪が耳の上をわたる表現、帯喰をあらわす鎧の表現、地天女(表面は摩耗する)が毘沙門天の両足を支える表現を確認することができる。不動明王坐像も朽損や欠失部位も多い状態ではあるが、頭部全体、正面左半身は形状がよく残り、頂相や相貌、辨髪の表現、胸飾のデザイン、条帛の一部など、不動明王の図像を考える上で重要な部位の情報はよく残されている。特に左耳の後ろを通って集めた髪を垂下する点、さらにその辮髪が太腿あたりまで長く垂れ下がる点、胸飾が直接本体に彫出される点などは、同時代の不動明王の作例の中でも珍しい特徴と言える。

蔵王堂内には本尊・蔵王権現像が中央の厨子内に祀られ、向かって右側の厨子内に聖観音菩薩像が祀られるが、いずれも秘仏である。この他に神仏分離により笠形神社の西ノ宮、中ノ宮に安置された聖観音、十一面観音も移座されており、また十二神将像と思われる7体の神将像、笠形神社に祀られていた神像群も安置されている。

『瀬加村村誌』には、古老の伝説として笠形寺における諸堂の荒廃と、そこに安置された仏像の状態が記されており、社寺の建物が荒廃し、再建もできない状態で放置されて狐狸の棲み家となっていたため、各堂宇の仏像を一堂に集めて安置したが、また年月を経て堂の荒廃とともに腐朽していく仏像が多く、天保五年(1834)に堂宇を再建して仏像を奉安し、その時、最もひどく腐朽した仏像多数は浄地を選んで埋めた旨が記されている。

笠形寺に伝わる仏像群も荒廃していく堂宇とともに自然に帰した可能性もあったと思われるが、信心を持った人々の手によりその一部でも現在に残された意義は非常に大きい。

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